大学一・二回生のころ、私は気の向くままに買い物をしていた。
欲しいと思った服は(ほとんどが安い古着)たとえ来年まで着られそうな状態でなかったとしても買った。
ピアスは増えていく数など気にせずに手に入れたし、CDは視聴もせずに何枚も何枚も買った。
使い道の思い当たらない雑貨も、衝動的に買い集めた。
そして色んなものを作ってみた。
そんなことを繰り返していると当然、どれだけバイトをしていてもお金は全く貯まらなかった。
ある日私は、帰りの電車内で無性にチョコレートが食べたくなってきた。
いったん食べたいと思ったらもう、すぐに食べられないことに苛立ちさえ覚えてきた。
特急を待つ間に駅にあるコンビニに駆け込んで、100円くらいのチョコレートを買った。
電車内で私はチョコレート開け、ぺろっと全部平らげた。
おいしいという満足感よりも、チョコレート欲をやっとこさ満たすことができた
安堵感があった。
病的ともいえるほどの欲望を満たした後、
電車の窓にうつる自分を見た。
食べたあとと前では一体全体私の何が変わったと言うのだろうか。
私の財布から100円が減り、残ったのはチョコレートのから箱。
あと数時間後にはまたお腹が減って、また違うものを食べたくなるのはわかり切っている。
100円と引き換えに、得たものっていったいなんだ。
ものすごいむなしさと、ばかばかしさにおそわれた。
これを機に、私の衝動買いは明らかに減っていった。
徐々に、ものを買い、所有すること自体に罪悪感を覚える程になってきていた。
良いなと思う→買いたい→所有するものがふえる→そんな沢山はもてない→必要ない→諦める
このようにして自分の直感を抑えることを身につけた。
所有することに対しても、興味はあまりわかなくなってきていた。
この、直感を抑える方法はなにも物を買う時だけに使ってきたのではない。
それはもうあらゆることに。
そうすることで、得たものはある。ふるいにかける技。
得たものばかりだと思い込んで数年間、
ここにきて、失ったものもあるんじゃないかとふと気づいた。
私は自分の本当の心の声を聞いた時、なんやかんや理屈を探してその声を抑えてきたような気がする。
そこから抜け落ちていたのは、自分自身。
昔の自分と今を比べたら、動と静とゆう感じ。
パワー全開の動寄りに徐々に移行しつつあるこの年の瀬。
来年は、自分に忠実に生きていきたい。
もう四半世紀生きてるのに、とほほ。。。。。。