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泣いた日
ここんとこ3夜連続で歯磨き粉を洗面所周辺にぶちまけている。
出にくくなってきたので空気入れてふた閉めて上の方もってブンブン振ると、
残りが下におりてきて、少なくなってからも意外と使えるのだ。
で、3日前からこの伊藤家の裏技を実行している。
で、3日前から毎回途中でふたが開いてるのに気づかないままブンブン振って、
せっかく出てきてくれた歯磨き粉を、弧を描く範囲にぶちまけている。
約3回分、無駄にしたであろう。
我がの学習能力の無さに悔し涙。


「私の中のあなた」を見た。
もともと「感動」とか「泣ける」というタレコミの映画はあんまり見たくはない。
なんでわざわざ涙流さなあかんのよ、と思うからだ。
しかし、この映画は「臓器移植のための生」という設定が、
最近読んだ本「Never Let Me Go」に共通していたので、すごく興味がわいた。
だからこないだのスマステでゴローちゃんが、「とても泣ける映画なので、ハンカチをお忘れなく」
と言っていたにもかかわらず、私は見に行くことを決めた。
友人にもハンカチ持参を促し、私はハンカチ一枚と吸水性を重んじてハンドタオル一枚、
という拭き物二枚体制で挑んだ。

映画館でこんなに泣いたのは初めてだった。
辛うじて、吸水性高のハンドタオルは使用しなかったが、もう一枚のハンカチはべっとべと。
唯一の救いは、エンディングの曲が結構激しく鳴っていたこと。
その間に思いっきり鼻をかみ、かっぴかぴの鼻と目周りに潤いを与え、
外界へ出られる体制に整える必要があった。
友人はその後、英会話に行く予定だったのに、泣きすぎて疲れたから休みたいとぼやき、
私は目の腫れ隠しにメガネを着用したまま映画館を出た。

で、映画後の我々の話題は専ら、キャメロンディアスが履いていたムートンブーツだった。
友人: 「キャメロンがムートン履いてたな。かわいかったぁやっぱ買って良かった〜〜。
(ネットで注文済みで12月ごろに届く予定らしい)」
それに対して、ムートンブーツの風貌が生理的に受け入れられない私:
「え・・・あれびっくりしたなぁ。いくらキャメロンが履いても好きになれへんかったわ・・・
去年、父母で買い物に行かはって、
母が大喜びでムートンブーツを買って帰って来た時の衝撃ったら無かったで・・・」

受け取り方はほんと人様々である。


娘の死と戦う強さ、姉の意思・自分の生を守る強さ、死を受け入れる強さ。
とにかくその強さ加減に感動である。
愛のぶつかり合いを見せてもらった。

しかしやはりこーゆー映画(泣ける映画)は夜中に一人でDVDで、
鼻を思いっきりかみながら見たいもんだ。



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ばかばっか
最近また髪の毛を少し短くした。

翌日、微調整の為再度切っていたら、
母「また切ってんの!?それ以上切ったらより一層海苔みたいになるやん…」

私はその一言により私の頭にのりがペロッと貼り付いているよぅにしか見えなくなり、
すぐさま鋏を置いた。

そんなうらさみしい秋の日、我が甥っ子がバンザイの技を新たに身につけたとの情報が姉から入った。

バカお婆とバカおばは大騒ぎである。

あの子がバンザイをする様を想像し、かわいいー!!を連発。
エエ大人2人でバンザイしたってかわいくもなんとも無いのにバンザイを連発。

片手をあげるハーイの技も備わったとの情報に、
バカお婆は「私がこないだ教えてたからや!!」と手柄を主張する始末。

ほんと、バカばっかりである。
でも、それでいいんだ、きっと、今は。
騒げるうちに騒いどこ。




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新しい特技
昨夜、本を読んでいた時、歌を歌いたくなったので、小声で口ずさんでみた。
結構快調に本も読め、歌も歌えた。
今日電車の中でもやってみたら、やっぱり快調だった。
もう少し、両方にきちんと集中できるように上達を目指そう。


南港はcasoへ、御苗場2009。
大学時代の先輩、kyarry+さんの写真を見に。
素敵だ。

100組以上の方々が展示をされており、自分が好き好んで見に行くよぅなのではない写真もあり、新鮮だった。

ぐるぐる見てまわって、海を見に行ってから心斎橋で先輩と合流。

先輩のお友達のカフェ、ninoでお友達の中村muchoよしてるさんが展示をされているそうで、連れていってもらう。
めちゃくちゃ可愛い女の子が一人で切り盛りしてる可愛らしいお店だった。同い年の子だった。りっぱ!!!
ロコモコもカフェオレもおいし。

そこで過ごした時間はほんの2時間足らずだった。
でも、そこで巻き起こった会話は非常に濃密な感じがあった。

異様に異常にグータラな生活を過ごしている昨今の私。
こんなことじゃあいかん。

そしていそいそと、近くの和菓子屋さん日月餅へ。
こちらでも、先輩の友人の方の和菓子発表会が催されており、
おいしいおいしい和菓子とお茶を試食させて頂いた。
外はお餅とあんこ、中にラズベリーがごろごろとはいっておりジューシー。
あっさりしててすごくおいしい!!

お土産に購入したら、最中をつけてくれた。

帰って早速頂く。
そのラズベリーお餅とセルフ最中。

お餅はもちろんのこと、最中もものすごくおいしかった。
皮?はパリパリででももちもち感があって、非常に上品なあんこを添える。

甘すぎる和菓子は苦手な私。
でもこのあっさりして激ウマ和菓子達は、夜中に何個でも食べられてしまう程だった。



先輩に導かれるまま行動した今日は、
素敵なものをおすそ分けしてもらった日になった。


ふんばらねば、ここでふんばらねばいかんぞよ。



これ、めっちゃおもしろい!!
BGMがいい感じ。
↓↓↓
http://www.party-tencho.com/



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金木犀のある家に住みたい
2年前、突如私は夢を語った。

「金木犀のある家に住みたい。」

その年はもうすでに季節は終わっていたが、
植木市で金木犀の苗?鉢?根っこがぼこってついた木を購入。

その1年後、つまり昨年、私の夢はかなった。
夏の余韻も過ぎ去り、涼しい風が吹くようになった頃、
思い出したかのように香ってくるあのいい匂い
が、玄関開けてすたすた3歩ほどしたら嗅げるのだ。

突如宣言したのは2年前だったが、私の金木犀好きは結構な歴史があるのだ。
その長年の願いが今、叶ったのだ。
私は幸せだった。


その1年後、つまり今年。
我が家の玄関先から金木犀は香ってこなくなった。



えぇ、枯らしましたとも。



この春、産後の姉を手伝いに出かけていた母が帰ってくるなり、
「おもての金木犀が枯れてる・・・あんた水やった??」

「ん・・・一回も・・・・・・・・」


私の頭には、植物の水やりという概念が残念ながら備わっていなかったようだった。

己のずぼら体質のおかげで、私の一応長年の夢は
あっけなく散っていった。



金木犀の木に水をやり続け、毎年秋の到来と共に
空気に香水を撒き散らしたようないい香りを漂わせて下さっている皆々様、
これからもどうぞよろしくお願い致します。



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スタジオジブリレイアウト展に行った日
今朝、母に「昼からジブリレイアウト展見に天保山の美術館行ってくる」と告げた。

と、「へぇー天保山って海遊館の近くやんなぁ。
そういえばあんたなんであの時海遊館行かへんかったん?」

大昔の話をむしかえしてこられた。


私が小学何年生のころだっただろうか。
突如母が「海遊館へ行こう!」と言い出した。
私はもうそのときすでに出不精の性質を存分に発揮しており、
なにもそんな遠くまで行って結構なお金出してまでお魚見に行きたくなんてないわい、
てな感じで母のお誘いを丁重にお断りしたのであった。
なんともかわいげのない児童だ。
何度も何度も行こうという母を何度も何度もお断りし、
結局私はひとりでお留守番をすることになった。
ま、ひとりになったら寂しくてやっぱ行けばよかったかなぁなどと少し後悔したのだけれど、
そんなこと口が裂けても言わなかったけれど。


「ほんまにノリ悪いなーあんたは」
十何年も前の私の言動に今更いちゃもんをつけられての出発であった。


平日というのに館内はすごい人人人人。
というか、音声ガイドを聞きながらじっくり鑑賞の人が一杯いてとにかく進まない進まない。

おーこれらを経てあの数々の名作は生み出されていったのかーと思うと鳥肌がたった。
ラフな線でラフな感じで描かれていてもめちゃくちゃうまい。
何枚もの紙をつないでのでーーっかいレイアウトも圧巻だった。

お土産を買い、梅田に戻ってご飯を食べて、阪急うろうろして電車。
慣れない大阪に疲れたのか、友人も私も電車の中でウトウトウト。

と、ふとよぎったのが
「なぜ宮崎駿(が決めたかは知らないが)はジブリ美術館のネコバスで遊ぶのに年齢制限を設けたのか。
またなぜそれが小学6年生まで(確か)なのか。」

私が初めてジブリ美術館に行ったのは、確か19歳。
ネコバスに乗り込むのを楽しみにしていたのに、あいにく小学生時代はとっくの昔に過ぎ去っており、
なんやーわてら遊べへんのかーとわーきゃー騒ぐ子供たちを、指くわえて眺めていた。

しかし、果たして二十歳やそこらの女子が、あのネコバスに入ってどう「遊ぶ」のだろうか。
あのたくさんのまっくろくろすけで、いかに「遊ぶ」のだろうか。

生後1年未満の甥っ子達や友人知人のベビちゃん達は、周りのもの何にだって興味を示し
何にだって触ろうとして食べようとして、ほんっとにあらゆるものを「おもちゃ」として遊んでいるように見える。
とにかく目に入るもの全てに関心がいき、その好奇心旺盛さに私はいつも感心するのだ。

大きくなるにつれ、そのあらゆるものへの好奇心っていうのは薄れてくるのだと思う。
「これがおもちゃだ」というのを知り、そのおもちゃは「こうして遊ぶのだ」ということを学んでいく。
そうするとそれ以外のものを「おもちゃ」と認識しなくなる、って言えばちょっと極端かな。。。

私が小さい頃、原っぱとか家の前でなんとなく遊んでいたのは小学校1,2年生のころまでで、
それ以降は友達の家行っておもちゃで遊んだりゲームをしたりして、
高学年になったら皆でニチイ(現サティ)に行ったり近くのモスに行ったりしていた。
たぶん、その高学年時代ですら、私がジブリ美術館のネコバスの中に入ったら
何したら良いかわからなかったと思う。
ちびっ子がわーきゃー走り回ってネコバスから出たり入ったりして、上から下に滑り降りたりして、
まっくろくろすけをわーきゃー投げまくっている様に囲まれて、おとなしくネコバスに座ってその風景を
眺めているような気がする。


年齢制限はただ単に、サイズの問題かと思っていたが(実際そうかもしれませんが・・)
きっと、「きらきらした顔でなりふり構わずネコバスとまっくろくろすけで遊べる」ぎりぎりの年齢の範囲
が設定されているのかもなぁ、と思った。


いつまでも、きらきらした顔でなりふり構わずあらゆるものを楽しめる、そんな人間であれたらなぁ思う。
ま、私はもはや手遅れか・・・・・



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