今朝、母に「昼からジブリレイアウト展見に天保山の美術館行ってくる」と告げた。
と、「へぇー天保山って海遊館の近くやんなぁ。
そういえばあんたなんであの時海遊館行かへんかったん?」
大昔の話をむしかえしてこられた。
私が小学何年生のころだっただろうか。
突如母が「海遊館へ行こう!」と言い出した。
私はもうそのときすでに出不精の性質を存分に発揮しており、
なにもそんな遠くまで行って結構なお金出してまでお魚見に行きたくなんてないわい、
てな感じで母のお誘いを丁重にお断りしたのであった。
なんともかわいげのない児童だ。
何度も何度も行こうという母を何度も何度もお断りし、
結局私はひとりでお留守番をすることになった。
ま、ひとりになったら寂しくてやっぱ行けばよかったかなぁなどと少し後悔したのだけれど、
そんなこと口が裂けても言わなかったけれど。
「ほんまにノリ悪いなーあんたは」
十何年も前の私の言動に今更いちゃもんをつけられての出発であった。
平日というのに館内はすごい人人人人。
というか、音声ガイドを聞きながらじっくり鑑賞の人が一杯いてとにかく進まない進まない。
おーこれらを経てあの数々の名作は生み出されていったのかーと思うと鳥肌がたった。
ラフな線でラフな感じで描かれていてもめちゃくちゃうまい。
何枚もの紙をつないでのでーーっかいレイアウトも圧巻だった。
お土産を買い、梅田に戻ってご飯を食べて、阪急うろうろして電車。
慣れない大阪に疲れたのか、友人も私も電車の中でウトウトウト。
と、ふとよぎったのが
「なぜ宮崎駿(が決めたかは知らないが)はジブリ美術館のネコバスで遊ぶのに年齢制限を設けたのか。
またなぜそれが小学6年生まで(確か)なのか。」
私が初めてジブリ美術館に行ったのは、確か19歳。
ネコバスに乗り込むのを楽しみにしていたのに、あいにく小学生時代はとっくの昔に過ぎ去っており、
なんやーわてら遊べへんのかーとわーきゃー騒ぐ子供たちを、指くわえて眺めていた。
しかし、果たして二十歳やそこらの女子が、あのネコバスに入ってどう「遊ぶ」のだろうか。
あのたくさんのまっくろくろすけで、いかに「遊ぶ」のだろうか。
生後1年未満の甥っ子達や友人知人のベビちゃん達は、周りのもの何にだって興味を示し
何にだって触ろうとして食べようとして、ほんっとにあらゆるものを「おもちゃ」として遊んでいるように見える。
とにかく目に入るもの全てに関心がいき、その好奇心旺盛さに私はいつも感心するのだ。
大きくなるにつれ、そのあらゆるものへの好奇心っていうのは薄れてくるのだと思う。
「これがおもちゃだ」というのを知り、そのおもちゃは「こうして遊ぶのだ」ということを学んでいく。
そうするとそれ以外のものを「おもちゃ」と認識しなくなる、って言えばちょっと極端かな。。。
私が小さい頃、原っぱとか家の前でなんとなく遊んでいたのは小学校1,2年生のころまでで、
それ以降は友達の家行っておもちゃで遊んだりゲームをしたりして、
高学年になったら皆でニチイ(現サティ)に行ったり近くのモスに行ったりしていた。
たぶん、その高学年時代ですら、私がジブリ美術館のネコバスの中に入ったら
何したら良いかわからなかったと思う。
ちびっ子がわーきゃー走り回ってネコバスから出たり入ったりして、上から下に滑り降りたりして、
まっくろくろすけをわーきゃー投げまくっている様に囲まれて、おとなしくネコバスに座ってその風景を
眺めているような気がする。
年齢制限はただ単に、サイズの問題かと思っていたが(実際そうかもしれませんが・・)
きっと、「きらきらした顔でなりふり構わずネコバスとまっくろくろすけで遊べる」ぎりぎりの年齢の範囲
が設定されているのかもなぁ、と思った。
いつまでも、きらきらした顔でなりふり構わずあらゆるものを楽しめる、そんな人間であれたらなぁ思う。
ま、私はもはや手遅れか・・・・・